織田有楽斎

ご挨拶

織田有楽斎四百年遠忌に際し、特別展「大名茶人ー正伝永源院の寺宝ー」を開催させていただく運びとなりました。戦乱の世において数奇な運命に翻弄されながらも、現代まで伝えられてきた有楽斎の功績や遺構、想い、そして生き方を学ぶ中で、「逃げの有楽」と椰楡されてきたことに釈然としない想いを抱くようになりました。そこで、今までとは違う角度から有楽斎という人物を捉え直すべきだという強い想いが、本展の開催へと繋がりました。
有楽斎は、後世国宝となる名席「如庵」を創造し、茶の湯において客をもてなす道理を本意とし、型にとらわれすぎず、創意工夫するという理念に基づいて、茶の湯に没頭しました。禅寺での生活の中で茶人はじめ多くの武将らと茶の湯を通し交流していた有楽斎は、茶の湯に何を求め、そして、後世へと何を残そうとしたのでしょうか。この展覧会を通し、現代まで守り伝えられてきた有楽斎の想いを感じ取って頂ければ幸いです。
本展の開催にあたり、京都文化博物館様、サントリー美術館様、読売新聞社様はじめ多くの方々にご協力を頂きましたことを心より厚く御礼申し上げます。合掌。

正伝永源院 住職 真神啓仁

正伝院と有楽斎

信長の死後、剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となった。
晩年は祇園花見小路四条下ルに「正伝院」を再興し、茶室「如庵」を建造し、茶の湯に没頭する日々を送りました。
有楽斎は、茶の湯を通じて大名や町衆との交流を深め、正伝院が彼の最終の居場所となる頃には、既に茶の湯が当時重要な役割を果たしていました。

織田有楽斎の墓

茶道三昧の生活を送ったが元和7年に75歳で没した。
有樂斎の墓は正伝院の移転後も旧地に残っていたが、
昭和38年秋、有樂斎夫人・息女・孫織田長好の3基とともにここに移された。
現在各地に有樂流の茶道が受けつがれている。

有楽斎の書と墨蹟

織田有楽斎は利休も一目を置く茶人であり、出家して有楽斎を称した後も茶の湯に執心し、名僧や武将と多く結びながら茶会を開いていきます。これらの活動を示す書状は今も正伝永源院に多く残り、茶人としての姿をよく示しています。

織田有楽斎書状 藤堂和泉守宛

織田有楽斎書状 伊勢屋道七宛

織田有楽斎書状 松庵老宛

織田有楽斎書状 小出信濃守宛

有楽斎とゆかりの品

有楽斎が生前に集めた茶道具は、彼の没後に孫の三五郎長好が受け継ぎました。
その後、これらの茶道具は長好の遺言に基づき一部が分与され、残りは正伝院に寄進されました。

茶杓

茶杓 銘 落葉

御本立鶴水差

茶杓